2019年4月30日火曜日

砂山小ものがたり No.31 4/30「第2代校長先生の頃の出来事その3」 閉校まであと335日

 昨日からの続き。

 創立20周年記念誌「砂山」の記載から。

昭和43年 3月 8日 校歌制定発表会。
昭和46年 8月12日 野球用バックネット新設。

 とあるように、この間は大きな出来事がなかったのかもしれません。

 別な資料には、校歌について次のような記載があります。

 校歌は、昭和42年11月に制定され、昭和42年12月10日の創立10周年において披露される。作詞は高田氏、作曲は田才氏である。創立10周年記念として、実行委員会がお二人に依頼したものである。
 昭和43年1月20日には、田才先生をお迎えして校歌指導を受けている。昭和43年3月8日には、創立10周年記念実行委員の方々はじめ、多数のPTA会員の参加の場に、高田先生と田才先生をお迎えして盛大な校歌発表会を実施している。

 創立から10年を経て、校旗が樹立され、校歌が制定され、砂山小学校が、ますます発展していきます

 本日、平成最後の日となりました。
 砂山小学校は、昭和33年から昭和期を約31年間、平成元年から平成期を約30年間過ごすことになり、令和の時代が約1年間、合計で62年間の歴史となります。
 昭和、平成、令和の3元号にわたる、砂山小学校の歩みをこれからもお伝えしていきます。








2019年4月29日月曜日

砂山小ものがたり No.30 4/29「第2代校長先生の頃の出来事その2」 閉校まであと336日

 昨日からの続きです。

 『砂山小学校創立10周年記念誌』の記載より。

記念事業については、多大な経費の伴うところ、皆様の御理解ある御寄付をいただき、
1.校旗の樹立   1.校歌の制定
と、学校の象徴となり、教育のよるべとなる二つの事業を決定したのであります。

 その頃の沿革は、次のとおりです。

昭和42年12月10日 創立10周年記念式典を挙行。
            校旗を樹立。
昭和43年 1月29日 第6回県花いっぱいコンクール努力校として、
            毎日新聞社から表彰される。
昭和43年 3月 8日 校歌制定発表会。

 羽越水害発生から、約3ヶ月半後の創立10周年記念式典の挙行。
 関係する皆様の並々ならぬご苦労とご尽力に深く敬意を表します。
 校旗と校歌の写真です。

続く。

2019年4月28日日曜日

砂山小ものがたり No.29 4/28「第2代校長先生の頃の出来事その1」 閉校まであと337日

 第2代の校長先生は、白井 晶先生。
 昭和41年4月1日から昭和49年3月31日までの8年間お勤めいただきました。
 その頃の沿革を綴ります。

昭和41年10月24日 中庭の造園、完成する。
昭和42年 5月    農繁期休業を廃止。
昭和42年 8月28日 羽越水害。被災児童250名。福田、塩谷地区 約400名、
            学校へ避難。福田地区の水害対策本部となる。
            9月1日の始業式は不可能、地域訪問を数回する。

 別な資料では、このようにも書かれています。

昭和42年 8月28日 集中豪雨(羽越水害)のため学区の被害甚大。
            学校が避難場所となる(9月13日まで)。
昭和42年 9月 1日 水害のため、学校は9月4日まで臨時休校。

 新潟地震から3年後、またも天災に見舞われ、甚大な被害を受けています。

昭和42年 9月29日 運動会を中止、校内スポーツを実施する。
昭和42年10月 5日 羽越災害見舞金を配付する。

 昭和42年度は、砂山小学校ができてちょうど10年目。節目の年でもありました。
 続きはまた明日。 

2019年4月27日土曜日

砂山小ものがたり No.28 4/27「音楽集会」 閉校まであと338日

4月26日、音楽集会がありました。
全校の子どもたちが、松の子ホールに集まって、歌声を響かせました。
卒業生の瀬賀さんが、来てくださり、共に音楽を楽しみました。
はじめに、4~6年生による鼓笛隊(砂山小では、通称、メロ鼓隊と言っています)が、校歌と威風堂々を演奏しました。

それから、校歌をいっしょに歌ったり、砂山小学校の閉校に寄せて作られた「ありがとう」というの歌(作詞作曲:すなやまけんじ)をいっしょに歌ったりしました。

ステキなピアノ演奏とステキな歌声が、子どもたちの心に響いた音楽集会でした。

2019年4月26日金曜日

砂山小ものがたり No.27 4/26「花だより」 閉校まであと339日

 昨日より、雨模様。
 校地にある花々の様子です。
 花壇のチューリップと、鉢植えのチューリップとパンジー。
 鉢植えは、2年生と3年生が育てています。


 前庭のツバキです。

 2日前のビオトープに浮かぶ桜の花びらです。

明日からゴールデンウィークで、学校も10連休となります。
春から夏へ向かおうとしています。

















明日からゴールデンウィークで、学校も10連休となります。
春から夏へ向かおうとしています。






2019年4月25日木曜日

砂山小ものがたり No.26 4/25「1年生を迎える会のときの話」 閉校まであと340日

4月23日の1年生を迎える会で、おおむね次のような話をしました。

 楽しい1年生を迎える会でしたね。
 1年生8人が仲間入りして、砂山小学校の子どもたちは、74人になりました。
 間もなく、平成の時代が終わり、令和の時代が始まります。時代の変わり目とも言われますが、砂山小学校も今年度で閉校となります。この1年間、いろいろな活動を通して、たくさんの楽しさと思い出をこの学校で作っていきましょう。
 その1つめとして、今日、1年生を迎える会が、行われました。
 児童会のスマイル委員会が中心となって、全校を盛り上げてくれました。
 6年生は1年生の入場を担当し、いろいろと1年生のお世話をしてくれました。5年生は招待状を作って届けてくれました。高学年の皆さんの活躍はさすがですね。
 4年生は、ステージの飾り付け。とてもきれいに作ってくれました。3年生は、アーチの担当に、詩の朗読と音楽発表。大きな声が響き渡りました。2年生は、1年生へのメッセージとダンス。リズムにのって、全校を盛り上げてくれました。
 そして、1年生は、自分の好きなものの自己紹介。1年生の「よろしくお願いします」の気持ちが伝わってきました。
 みんなで作り上げた、大変素晴らしい1年生を迎える会でした。
 みんなで楽しむには、みんなで作り上げることが大事ですね。みんなの思いや考えを言葉や行動に出して伝え合うことを何て言いましたか。そうですね、対話です。これまでいろいろな準備や練習をする中で、みんなが対話することで、みんなの心が合わさって、こんなすてきな1年生を迎える会ができました。
 それから、朝のあいさつも、とてもよくなりました。遠くから大きな声を出したり、笑顔であいさつしたりして、あいさつを楽しんでいる様子が見られます。元気よくあいさつを交わし合うことで、心や気持ちが伝わった感じがします。仲良くなった感じもします。
 また、上の学年の人が下の学年や1年生に優しく声をかけたり、手を引いて一緒に歩いていたりします。このような心と心が通い合う対話が、いろいろなところで見られています。
 地域の人、おうちの人、先生方、そして、登校班の人、友達同士で、心がほっこりするようなあいさつができるといいなと思います。
 お互いをつなぐ対話の第一歩、あいさつを楽しみましょう。
 そして、これからも、今日のような行事をみんなで作っていきましょう。
 
以上で、お話を終わります。
1年生の自己紹介ときの写真です。


2019年4月24日水曜日

砂山小ものがたり No.25 4/24「初代校長先生の頃の出来事その3」 閉校まであと341日

 「初代校長先生の頃の出来事その2」からの続きです。


 この写真は、砂山小学校の校歴室に展示してあるものです。
 この写真には、「昭和39年6月16日 新潟地震災害写真(塩谷部落)」と記載があり、当時の塩谷郵便局長様から寄贈いただいたものです。
 道路の陥没や地割れ、住宅や電信柱の傾きなどから、被害のすさまじさが分かります。
 復興には、大変な労力と時間がかかったものと思われます。

 初代の松田校長先生の時代には、昭和33年4月に、牛屋小学校と塩谷小学校が統合されて、平林第二小学校が開校したものの、学校の完全統合までには3年の歳月を要しました。
 また、昭和36年9月には、第二室戸台風襲来、昭和39年6月には、新潟地震発生と、相次いで自然災害に見舞われました。

昭和40年 4月 1日 神林村立砂山小学校と校名を改称する。
昭和40年10月23日 校門寄贈(福田地区)
昭和40年10月29日 学校区の寄付金と、PTAの奉仕作業により、
            前庭の造園を完成する。
昭和41年 2月 4日 保健優良校として、県学校保健会から表彰される。
昭和41年 3月31日 初代校長 松田千代蔵氏 退職

と沿革にあるように、学校が開校してから、7年後に、校名を現在の砂山小学校に改称しています。その後、校地の環境整備事業や子どもたちの健康づくりに取り組んできたことが分かります。
 幾多の苦難を乗り越え、激動の年月を経ながら、砂山小学校の創世記を作り上げてこられた関係する全ての皆様に感謝申し上げる次第であります。




2019年4月23日火曜日

砂山小ものがたり No.24 4/23「初代校長先生の頃の出来事その2」 閉校まであと342日

昨日の続きです。

昭和39年6月16日 13時04分大地震あり、校舎校地の鳴動甚だし。
           17日臨時休校を指示し、保護者と17時帰宅させる。
           対策本部となり、難民避難所として30世帯を収容する。
昭和39年6月17日 大地震により、臨時休校。家庭訪問をし被害状況を調査。
昭和39年6月18日 自衛隊出動で、学校に宿泊設営をする。
昭和39年6月23日 県知事来村、調査・激励(ヘリコプターの基地となる)。
昭和39年6月23日 見舞いの作文・学用品などを多量に受領。
昭和39年8月12日 県小学校長会募金による見舞金、
           約80万円を132戸へ配分・贈呈する。

地震発生から、1週間で、お見舞いの作文や多量の支援物資が届いたことが、沿革から分かります。
また、2ヶ月後には、約80万円の見舞金が届いています。(ちなみに、当時のそばやうどんは一杯50円程度でした。)

新潟地震について、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』では、次のように述べられています。

新潟地震は、1964年昭和39年)6月16日13時1分41秒新潟県粟島南方沖40km(北緯38度22.2分、東経139度12.7分、深さ34km)を震源として発生した地震である。地震の規模はM7.5

甚大な被害を乗り越えてきた歴史がここにあります。

続きは、また明日。
           

2019年4月22日月曜日

砂山小ものがたり No.23 4/22「初代校長先生の頃の出来事その1」 閉校まであと343日

 砂山小学校の初代の校長先生は、松田千代蔵先生。
 昭和33年4月1日から昭和41年の3月31日までの8年間お勤めいただきました。
 今では、一つの学校に8年も勤務するのはあまりないことですが、この頃は、そう珍しいことではなかったのかもしれません。
 砂山小学校の開校から、昭和36年4月の完全統合までの歴史については、「砂山小ものがたりNo.3」に述べてあるとおりですが、それ以降の歩みについて述べていきます。

昭和36年9月16日 第二室戸台風、猛威をふるい、校舎の被害甚大。
 別な記録には、「第2室戸台風により、職員玄関、ガラス、屋体と校舎の屋根に被害を受ける。前庭の風致、見る影なし」という記載もあります。大変な被害であったと思われます。

昭和37年 特記事項なし
昭和38年11月13日 調理室を竣工する
昭和38年11月26日 学校給食を開始する
 給食開始前までは、弁当持参か昼飯(ちゅうはん)あがりだったのでしょうか。

昭和39年5月13日 交通教室を開設する
昭和39年6月16日 新潟地震発生
 またしても、天災に見舞われます。
 すみませんが、この続きはまた明日。

2019年4月21日日曜日

砂山小ものがたり No.22 4/21「閉校記念タンブラー」 閉校まであと344日

 昨日に引き続き、閉校記念グッズの紹介です。
 砂山小学校閉校記念事業実行委員会記念品委員会プロデュース、「閉校記念タンブラー」。閉校記念大運動会にて、頒布する予定です。


 これで乾杯したら、ステキですね。

2019年4月20日土曜日

砂山小ものがたり No.21 4/20 「閉講記念Tシャツ」 閉校まであと345日

 砂山小学校閉校記念事業が、いろいろと進んでいます。
 記念品委員会では、閉校記念グッズの作成に取り組んでいます。
 その第一弾として、「閉校記念Tシャツ」が完成しました。
 Tシャツの色は、2種類。地の色:ライトブルー、文字の色:紺のタイプと、地の色:黒、文字の色:黄色のタイプがあります。
 まずは、表。

 次に、裏。

 裏の右肩にあるロゴは、「校章」と「創立から閉校までの西暦」。

表のロゴは、次のとおり。


 子どもたちには、ライトブルーの方を配付し、閉校記念運動会(5月25日)で、みんなで同じTシャツを着て、運動会を盛り上げる予定です。
 地域や保護者の方からも、このTシャツを着ていただき、運動会を盛り上げていただきたいと思い、文書を配り希望を取っているところです。
 このブログをお読みの方で、頒布を希望する方は、砂山小学校にお問い合わせください。





2019年4月19日金曜日

砂山小ものがたり No.20 4/19 「学習参観」 閉校まであと346日

 本日、4月19日、今年度はじめての学習参観がありました。
 新学年として、はじめて、保護者の方から子どもたちの授業の様子を見ていただきました。
 たくさんの保護者の方から参観いただきました。温かな雰囲気の中で、学習参観ができましたこと、誠にありがとうございました。
 授業等の様子の写真を1年から順に紹介します。







 そして、もう一枚。6年生の保護者の皆様と子どもたちからの心温まる、担任の結婚をお祝いするセレモニーの写真です。



2019年4月18日木曜日

砂山小ものがたり No.19 4/18 「地域見守り隊」 閉校まであと347日

 「砂山小学校地域見守り隊の皆様」が、神林地区青少年育成市民会議より、健全育成功労団体の表彰を受けることになりました。
 4月13日(土)に開催されました、神林地区青少年育成市民会議総会において、表彰状の授与と記念品の贈呈が行われました。
 表彰理由は、次のとおりです。

 「砂山小学校 地域見守り隊」は、毎日の登下校時に横断に付き添う、人通りの少ない通学路を子どもたちと共に歩く、冬季スクールバスの発着所で見守りをするなど、長年にわたり子どもたちの安全を守る貴重な活動をされている。

 平成26年10月に結成された「砂山小学校地域見守り隊」の活動は、現在、5年目となりました。これまでの子どもたちの安全に対しての多大なるご貢献に対し、厚く御礼申し上げます。今後とも、ご協力・ご支援のほど、よろしくお願いいたします。
 いただきました表彰状をご紹介いたします。

2019年4月17日水曜日

砂山小ものがたり No.18 4/17 「交通安全教室」 閉校まであと348日

先週の木曜日、4月11日、春らしい晴れた日に、1・2年生の交通安全教室が開かれました。
交通安全について、指導してくださった方々は、駐在さん、交通指導隊の皆様、市の担当者の方です。
黄色い帽子をかぶった1年生と、入学から1年が経ち、お兄さん・お姉さんとなった2年生が、学校付近の歩道や道路を実際にあるいて、交通安全について学習しました。
子ども110番の家になっている郵便局長さんのご協力もいただきながら、しっかりと学ぶことができました。



地域の方々の教育力のおかげで、子どもたちは、様々な大事なことを身に付けていくことができています。

2019年4月16日火曜日

砂山小ものがたり No.17 4/16 「桜だより」 閉校まであと349日

4月16日、快晴。昨日からの雨が上がり、澄み渡る青空です。
児童玄関前の桜は、ほぼ満開、地面にも花びらが見られます。

グラウンド国旗掲揚塔の後ろにある桜は、八分咲きくらい。

広いグラウンドをパノラマで撮るとこんな感じです。
中央より左側が広いグラウンド。中央より右側にある白い建物が砂山小学校校舎です。
一つ前の写真の桜は、写真中央より左側に小さく写っています。
右側にある木造の建物は物置小屋で、奥に写っている木造の建物は旧塩谷保育園です。
旧塩谷保育園の門のところにも満開の桜があります。
正に、桜花の候となりました。


2019年4月15日月曜日

砂山小ものがたり No.16 4/15 「校歌入り湯呑み」 閉校まであと350日

4月15日(月)、平成31年度(令和元年度)前期の縦割り班結成式がありました。
全校を8つに分け、1~6年生の全学年が入って、9人か10人で1つの班を作りました。
そして、1つの班をさらに2つに分けて、4~5人で、縦割り班清掃のグループにしています。
それぞれのグループで自己紹介をしたり、清掃場所を確認したりしました。
その後、「校歌入り湯呑み」のもとになる文字書きに取り組みました。
閉校記念事業記念品委員会の企画により、砂山小学校の校歌を残していこうということで、「校歌入り湯呑み」を作成することとなり、全員の子どもたちから、校歌の歌詞を一人一文字以上書いてもらうこととなりました。
全体に説明して、

その後、班ごとに高学年がリードしながら、分担した文字を紙に書いていきました。

子どもたちが書いた校歌が入った湯呑みを記念グッズとして作成し、皆様にも頒布する予定にしています。




2019年4月14日日曜日

砂山小ものがたり No.15 4/14 「航空写真その2」 閉校まであと351日

航空写真その1からの続きです。
3番目の写真は、これです。「砂山小」「2001」の文字があります。旧校舎の全景としては、これが一番新しいものです。

続いて、新校舎。2004年、新校舎竣工の時の写真です。

そして、一昨年(2017年)、創立60周年記念で撮影したものです。
遠くからでもよく見える、赤い屋根が特徴的なモダンな校舎です。



2019年4月13日土曜日

砂山小ものがたり No.14  4/13 「航空写真その1」 閉校まであと352日

校歴室には、昔の写真もあります。
校舎全景を写した、一番古いと思われる航空写真がこれです。

額に入って掲示されています。
グラウンドには、人文字で「砂山小」「1975」と書かれています。
今から、44年前、旧校舎のときの写真です。
次に古いと思われる航空写真がこれです。

「40周年」「砂山小」「1997」の文字が確認できます。
創立40周年記念で、航空写真を撮ったときのものです。
この続きは、次号にて。



2019年4月12日金曜日

砂山小ものがたり No.13 4/12 「校歴室」 閉校まであと353日

砂山小学校には、校歴室という部屋があります。歴史を感じる昔のものが展示してあります。入り口はこんな感じです。
中に入ると、いろいろなものがあります。
中に入って、振り向くと、ドアの上にこんなものがあります。
児童数のグラフです。
開校した昭和33年度の児童数は567名で、学級数は16学級でした。
翌年度の昭和34年度が最高で580人(男子292人、女子288人)です。
その後、減少傾向となり、
平成6年度には200人を切り、平成31年度現在の児童数は74名となりました。
(写真のグラフは、平成23年度までです)
62年間の児童数の変遷からも、閉校・統合へと至るこれまでの歩みが感じられます。
かつて、大勢の子どもたちが過ごした学び舎については、次号で紹介していきます。


2019年4月11日木曜日

砂山小ものがたり No.12 4/11 「閉校記念事業プレスリリース」 閉校まであと354日

4月8日(月)午後7時からPTA評議委員会が行われ、今年度のPTA組織や事業について話し合われました。
その後、午後7時35分からは閉校記念事業実行委員会が行われました。記念式典委員会、記念誌委員会、記念品委員会、寄付委員会の4つ委員会から、それぞれが計画している事業内容や進捗状況について説明があり、内容について協議しました。
その話し合いの中で、記念品委員会から、砂山小学校の閉校記念事業について、より多くの人に知ってもらえればという主旨から、プレスリリースという形で、報道機関への情報提供についての提案がありました。いくつかのご意見をもとに、プレスリリースを修正したものをここに紹介します。(文面のみ)

報道機関 各位
平成31年4月吉日
いつまでも心に「すなやま」を!
~砂山小学校閉校記念 記念品グッズ製作プロジェクト~

 村上市立砂山小学校は、昭和33年平林第二小学校として創立、昭和40年に砂山小学校と名称変更し、62年間で約2,800人の児童が学び過ごし、卒業後それぞれの道へと旅立ちました。しかしながら少子高齢化、人口減少の中で児童数が減少し、令和2年3月31日に閉校が予定されており、4月1日からは現平林小学校と統合し「村上市立平林小学校」として新しくスタートします。閉校に伴い10月26日に開催される閉校記念式典を企画しており、いよいよ今年度が最終年として閉校記念事業に取り組んでいこうと準備を始めております。
 校舎は現在の砂山小学校を利用しますが「砂山小学校」という名称はなくなってしまいます。これまで地域の子供たちのたくさんの思い出を作り、見守ってくれた砂山小学校。地域の方たちはもちろん、今遠く離れた土地で過ごす卒業生たちにとっても、その思い出はたくさんあるはずです。砂山小学校という名称がなくなっても、思い出はそれぞれの心の中に残っていくと確信しておりますが、やはり「砂山」という名前がなくなってしまうのはさみしい…という意見が閉校記念事業実行委員会でも多く出されました。そこで記念品委員会では子供たちを見守ってくれた強く優しい小学校の校章をもとに、記念品グッズを作製してはどうか!ということになりました。(小学校には後援会のようなものがなく、地域の世帯数も減少しているため寄付金収入も多くは見込めないと考えており、記念碑作成の資金を集めたいという実情もあるのですが、グッズを作ることで在校生や卒業生、たくさんの人に砂山小学校の思い出を残したい!という思いです。PR大使として非公式キャラクター「スナヤマン」の活躍も期待されます。
 現在記念品グッズとして「閉校記念Tシャツ」「校歌湯呑」「記念タオル」などを製作準備中です。(その他関連グッズとして地域のお菓子屋さんが「すなやまんじゅう」「すなやまクッキー」の製作にも取り組んでくださっています)特に「校歌湯呑」は在校生全員で校歌を1文字ずつ刻み、みんなの力で完成させる予定です。4月中旬の縦割り班結成式にて1文字ずつ記入してもらい原版を作成し製品とします。その他、皆さんに喜んでもらえる記念品を作ろうとアイデアを出し合っています。
 他にも、閉校記念事業として記念誌を発行します。「地域の皆さん、卒業生、子どもたち、みんなが見てくれる文集。できるだけ、たくさんの人たちに参加してほしい」をコンセプトとして、作成に取り組んでいます。今後、メッセージや原稿を募集する予定ですので、多くの地域の方や卒業生、保護者の皆様からご参加いただきたいと思います。
 また、閉校記念事業を円滑に実施するための寄付金のお願いもしています。現在、砂山地区の全世帯に趣意書をお配りし寄付のお願いをしているところでありますが、卒業生や砂山小学校に関係する皆様にも広めていきたいと考えています。
 地域にいない小学校卒業生を含め、多くの方に当取組について知っていただき、卒業生や在校生にとって残り少ない砂山小学校での思い出をより印象深いものとするためにも、当取組についてぜひ取材していただきたく、どうぞよろしくお願い申し上げます。
 今後の予定
  4月15日 湯呑校歌文字作成
  5月25日 閉校記念運動会(記念グッズ販売あり)
 10月26日 閉校記念式典(記念グッズ販売あり)

以上です。地域、保護者とともにつくる閉校記念事業として、一歩一歩進んでいるところです。

2019年4月10日水曜日

砂山小ものがたり No.11 4/10 「学校ボランティア」 閉校まであと355日

一昨日、4月8日のこと。
学校ボランティアの方から、学校をきれいにしていただきました。
ビオトープや花壇、トイレや廊下など、新年度のスタートにあわせて、草取りや掃除などをしていただきました。


トイレやビオトープなどがすっきりとして、とても気持ちのよい環境となりました。
本当にありがたいことです。
地域の方から見守られ育まれている砂山小学校であることをあらためて感じています。
誠にありがとうございました。

2019年4月9日火曜日

砂山小ものがたり No.10 4/9 「2つの入学式」 閉校まであと356日

本日、4月9日、村上市立砂山小学校、最後の入学式でした。
平林第二小学校の学校日誌には、「午前十時より入学式」と記載されており、第1回目の入学式が、昭和33年4月4日に行われています。
今日行われた入学式は、開校以来62回目の入学式となります。
第1回入学式の新入生の数は不明ですが、最後の新入生は8名でした。
在校生68名に新1年生8名が加わり、平成31年度の児童数は74名。
平成31年度教育活動の本格的なスタートです。
入学式では、4~6年生によるメロ鼓隊による歓迎の演奏が披露されました。

もう一つの入学式は、村上市立神林中学校です。
平林中学校と神納中学校が閉校・統合し、神林中学校は、この4月1日に開校しました。
神林中学校として、最初の入学式が、本日、挙行されました。
新入生は69名。入学式では、新しい校歌が披露されました。

最後の入学式と最初の入学式。
伝統あるメロ鼓隊の演奏と新しい校歌の合唱。
対照的な2つの入学式となりました。
2つの入学式の要項です。いずれも表紙には、校歌の歌詞が書かれています。




2019年4月8日月曜日

砂山小ものがたり No.9 4/8 「1学期始業式」 閉校まであと357日



4月8日、1学期の始業式でおおむね次のような話をしました。

 砂山小学校は、今年度で閉校になります。1年後には、砂山小学校が、この世の中から無くなることになります。どんな感じがしますか。
 みなさんは、砂山小学校の最後の在校生ということになります。明日、入学してくる1年生は、最後の新入生です。2年生、3年生、4年生、5年生は、砂山小にとっての、最後の2年生であり、最後の3年生であり、最後の4年生であり、最後の5年生です。そして、6年生は、最後の卒業生となります。
 この校舎は、新しい平林小学校になってからも使うので、砂山小学校が無くなるという感じがしないかもしれませんね。そして、みなさんの心の中にも、ずっと砂山小学校は残っていくことでしょう。
 砂山小学校にとって、最後の1年、どんな学校をつくりますか。どんな自分になりますか。なりたい自分とつくりたい学校にとって、大事なのは対話です。対話というのは、言葉や心が行ったり来たりすることです。
 少しやってみましょう。砂山小学校のクイズです。

 第1問。砂山小学校の誕生日はいつでしょうか。
 答えは、昭和33年4月1日、西暦1958年4月1日です。今から61年前のことですから、今、砂山小学校は61歳で、今年は、学校ができてから62年目となります。
 クイズを出して、みんなが考えたり答えたりして、それから正解をみんなに伝えました。行ったり来たりすると、いろいろなことを考えたり学んだりすることができますね。
 続いて、第2問。砂山小学校は、生まれたときは別な名前でした。何という名前だったでしょうか。
 答えは、平林第二小学校です。昭和40年4月1日、7歳の誕生日のときに、砂山小学校という名前になりました。
 対話によって、お互いのことがよく分かったり、新しい考えを見付けたりすることができます。

 この1年、砂山小学校のことをたくさん考えて、この学校でたくさん学んで、たくさん楽しんで、たくさんの思い出をつくって、砂山小学校のことをたくさん心に刻んでください。
 みなさんにとって、そんな1年になるといいなと思っています。なりたい自分とつくりたい学校を目指して、1年間がんばっていきましょう。

始業式の様子です。


保護者、地域の皆様、これまで同様、今年度もご協力ご支援をよろしくお願い申し上げます。

2019年4月7日日曜日

砂山小ものがたり No.8 4/7 「塩谷小学校」 閉校まであと358日

続いて、塩谷小学校の歴史です。『神林村小・中学校 新学制50年略史』より。

平林村塩谷小学校

 所在地 平林村大字塩谷1325の子

1 創立年月日

明治7年、塩谷番所山下の役所跡に公立の塩谷校が開設された。それ以前は、稲荷山下、佐藤一郎宅を学校として、教師は船番所役人の野沢奥太郎であった。

2 校区

明治6年当時、塩谷校は小口川戸長の総括する分校であった。明治17年に簡易科塩谷小学校と改称し、福田、長松、北新保の三カ村からも通学した。明治21年になると塩谷町は、北新保、長松、福田、牛屋の四カ村と合併して塩谷村となった。

沿革は、またいずれ。