昭和39年6月16日 13時04分大地震あり、校舎校地の鳴動甚だし。
17日臨時休校を指示し、保護者と17時帰宅させる。
対策本部となり、難民避難所として30世帯を収容する。
昭和39年6月17日 大地震により、臨時休校。家庭訪問をし被害状況を調査。
昭和39年6月18日 自衛隊出動で、学校に宿泊設営をする。
昭和39年6月23日 県知事来村、調査・激励(ヘリコプターの基地となる)。
昭和39年6月23日 見舞いの作文・学用品などを多量に受領。
昭和39年8月12日 県小学校長会募金による見舞金、
約80万円を132戸へ配分・贈呈する。
地震発生から、1週間で、お見舞いの作文や多量の支援物資が届いたことが、沿革から分かります。
また、2ヶ月後には、約80万円の見舞金が届いています。(ちなみに、当時のそばやうどんは一杯50円程度でした。)
新潟地震について、フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』では、次のように述べられています。
新潟地震は、1964年(昭和39年)6月16日13時1分41秒、新潟県の粟島南方沖40km(北緯38度22.2分、東経139度12.7分、深さ34km)を震源として発生した地震である。地震の規模はM7.5。
甚大な被害を乗り越えてきた歴史がここにあります。
続きは、また明日。