2019年4月7日日曜日

砂山小ものがたり No.8 4/7 「塩谷小学校」 閉校まであと358日

続いて、塩谷小学校の歴史です。『神林村小・中学校 新学制50年略史』より。

平林村塩谷小学校

 所在地 平林村大字塩谷1325の子

1 創立年月日

明治7年、塩谷番所山下の役所跡に公立の塩谷校が開設された。それ以前は、稲荷山下、佐藤一郎宅を学校として、教師は船番所役人の野沢奥太郎であった。

2 校区

明治6年当時、塩谷校は小口川戸長の総括する分校であった。明治17年に簡易科塩谷小学校と改称し、福田、長松、北新保の三カ村からも通学した。明治21年になると塩谷町は、北新保、長松、福田、牛屋の四カ村と合併して塩谷村となった。

沿革は、またいずれ。

2019年4月6日土曜日

砂山小ものがたり No.7 4/6 「牛屋小学校」 閉校まであと359日

砂山小学校は、塩谷小学校と牛屋小学校が統合してできました。
まずは、牛屋小学校の歴史から。『神林村小・中学校 新学制50年略史』より。

平林村立牛屋小学校

所在地 平林村大字牛屋第1番戸(第七百番地)

1 創立年月日

明治5年、それまでの天領御倉を改造して学校としたのが始まりである。明治6年、牛屋校は冬季間派出所となり、本校である平林学校へ通学することとなった。明治17年、有志者相談して、天領時代の御倉を学校とし、平林小学校牛屋分場と称した。

2 校区

小学校創立当時の校区は、牛屋、福田、北新保、長松、塩谷の五カ村であった。明治25年に牛屋尋常小学校となってからの校区は、塩谷分場と全く関係を絶ち、牛屋、福田、長松、北新保の四カ村となった。更に昭和22年に牛屋小学校となってからの校区は、牛屋部落の1集落となり、3学級編成となる。

沿革については、またいずれ。



2019年4月5日金曜日

砂山小ものがたり No.6 4/5 「校章その2」 閉校まであと360日

昭和35年1月26日、校舎新築記念を兼ねた学芸会の場で校章が制定されました。
創案者は、その当時、平林第二小学校(現砂山小学校)に勤務されていた、櫻井先生です。
『神林村小・中学校 新学制50年略史』には、「校章とその由来」として次のように述べられています。

図案は、地域の自然を考慮し、お幕場の松葉を活用して雪の結晶に図案化したものである。簡素化された図案で、松林に隣接する本校にふさわしい校章である。

なるほどと思わされる説明です。
体育館のステージの上にも、校章が掲げられています。
遠景とアップの写真です。





2019年4月4日木曜日

砂山小ものがたり No.5 「校章」 4/4 閉校まであと361日

砂山小学校の校章は、ステキです。
形は三角で、シンプルでかっこいいです。
沿革によれば、「昭和35年1月26日 校章を設定」となっています。
創立から1年半以上の月日が経過した後に、校章が制定されたことになります。
その校章がこれです。
体育館の屋根の下の壁面に設置されています。
もう一つは、児童玄関ポーチの屋根のところの写真です。
そして、もう1枚。同時刻に写した校舎夕景です。

また、砂山小学校閉校記念事業実行委員会記念品委員会では、試作品として、こんなものも作ってみました。
題して「すなやまんじゅう」です。





2019年4月3日水曜日

砂山小ものがたり No.4 4/3 「フラワーロード」 閉校まであと362日

今年は、4月に入っても、雪が散らついています。
今日(4月3日)も、晴れたり曇ったり、雪が降ったりと、肌寒い一日で、暖房が欠かせません。
そんな日和の中、地域のボランティアの方が、砂山小学校前の歩道「フラワーロード」の整備をしてくださいました。
歩道の落ち葉や雑草などを取り除き、花壇の草を取っていただきました。




そして、きれいな花を植えていただきました。

子どもたちが毎日のように通る歩道が、地域のみなさんのお力によって、大変きれいになりました。
いろいろな形で、地域のみなさんから見守られ、助けていただいている砂山小学校です。
誠にありがとうございました。

2019年4月2日火曜日

砂山小ものがたり No.3 4/2 「4冊の記念誌」 閉校まであと363日



砂山小学校創立以来、記念誌がいくつか発行されています。
・『創立10周年記念誌』(昭和42年12月10日発行)
・『創立20周年記念誌 砂山』(昭和52年10月16日発行)
・『創立30周年記念誌 砂山』(昭和62年10月18日発行)
・『神林村立砂山小学校校舎改築記念誌 すなやま』(平成16年5月29日発行)
手元にあるのは、これら4記念誌。
3冊の周年記念誌には、それぞれに「沿革小史」として、砂山小学校の歩みの記載があります。

昭和33年 4月 1日 塩谷小学校と牛屋小学校を統合して、平林第二小学校を創設。
            校舎未完成のため、旧両校舎で、それぞれ児童を収容。
            初代校長として松田千代蔵氏就任。
      7月 8日 統合校舎竣工式。
     11月16日 塩谷校舎収容中の5・6年生統合校舎へ。
            塩谷校舎の取りこわしはじまる。
昭和34年 2月 8日 新校舎竣工式。
      2月21日 牛屋校舎の5・6年生統合校舎に登校。
      3月13日 塩谷校舎の1~4年生移転完了。
      5月 2日 放送設備完成。
      5月30日 倉庫、自転車置場竣工。
      6月27日 ステージ開き。
     10月25日 グランド竣工。
     12月 9日 校地境界決定、境界標設置。管理を校長に委任。
昭和35年 1月26日 校章を設定。
     11月30日 郡市小教研主催、村教研後援の算数研究会を開催。
昭和36年 3月31日 牛屋校舎の閉鎖が決定、当直管理を併設の平林中学校へ移管。
      4月 1日 牛屋校舎廃止のため、職員定数4名減員。
            牛屋校舎を平林中学校へ移管。
            牛屋校舎の児童が新校舎に登校し完全統合となる。
      5月15日 完全統合に伴い、両校PTA合同。
      9月 1日 統合問題妥結条件のスクールバス運行。

統合に関わる記載はここまで。
実に、平林第二小学校の創設から、3年の歳月を経て、完全統合となっています。『創立10周年記念誌』にも、その大変さが語られています。当時の村長様のご寄稿の一部を紹介させていただきます。

 「学校統合」いうは易く行うは難しという言葉がありますが、この砂山小学校の誕生するまでは決して容易なものではありませんでした。幾多の辛酸をなめ、苦難に遭遇しました。これも新しいものが生まれる時に一度は経験しなければならない陣痛であったかも知れません。この陣痛も、地元の方々やご父兄の深いご理解とご協力によって、すべてを克服することができました。
 新しいものには新しいもののよさがあることは勿論ですが、古いものにも美しい伝統と誇りがあります。長い間親しんできた学校が廃校、統合を余ぎなくされることは、その理想や目的とは別に、やはり断ち難い愛着を感じたに相違ありません。それらの感情をすべて超越して、統合にご協力して下さった方々に心から敬意を表するものであります。

4つの記念誌と、本日の校舎の写真です。



2019年4月1日月曜日

砂山小ものがたり No.2 4/1 「61年前の学校日誌」 閉校まであと364日

平成最後となる平成31年度が本日スタート。
同時に、砂山小学校最後となる年度も、本日4月1日にスタートしました。
同日午前11時40分過ぎ、新元号「令和」が発表されました。
令和2年3月31日をもって、砂山小学校は62年の歴史に幕を下ろすことになります。
昭和の後半から平成、そして令和まで、砂山小学校は、3元号に渡り、その歩みを刻んできたことになります。
先日、校長室を整理していたら、創立初年度(昭和33年度)の学校日誌が出てきました。表紙には「昭和三十三年度」という年度、「学校日誌」というタイトルと、学校名が書かれています。実は、昭和33年度の学校日誌は、2冊ありました。
「平林第二小学校」と書かれある学校日誌と、「牛屋小学校」と書かれてある学校日誌です。
「平林第二小学校」学校日誌の初日、4月1日の行事の欄には、「職員出勤日」とだけ書かれています。
「牛屋小学校」学校日誌は、4月4日金曜日から始まっており、その日の天候は「晴れ」、行事の欄には、「全職員出勤日 新入学児童机等配列 その他新学期準備のため」と記載されています。また、その他の欄には、「四月三日 木炭二十七俵入荷」と書かれています。
昭和33年4月1日に、塩谷小学校と牛屋小学校が統合されて、「平林第二小学校」として創立した砂山小学校ですが、2つの校舎のままで、子どもたちは学んでいたようです。
砂山小学校『創立10周年記念誌』には、「十年の歩み」として、次のような記述があります。

昭和33・4・1 ○塩谷小学校と牛屋小学校を統合して,平林第二小学校を創設
         ○校舎未完成のため,旧両校舎で,それぞれ児童を収容
         ○初代校長として松田千代蔵氏就任
昭和33・7・8 ○統合校舎竣工式

それぞれの校舎での学びは、まだしばらくは続くことになります。
創立61年後の校舎と61年前の「学校日誌」の写真です。